若月隼太をもっと知る

Story1 苗場から世界へ

 新潟県、苗場スキー場の麓で育ち高校入学と同時にナショナルチームに選抜、2020年には地元苗場でワールドカップデビュー。子供の頃からの夢は史上初のワールドカップ制覇、そしてオリンピックでの金メダル。

 高校からワールドカップデビューまでの6年間ナショナルチームに在籍し順風に夢を追ってきた。しかし、ワールドカップデビューの年に成績が低迷しナショナルチームから外れる。それまでは与えられた環境で当たり前のように夢を追ってきた僕が初めて自信をなくし、スキーをする環境を失う。そして、最後の可能性を信じスキーの本場であるヨーロッパに単身で行くことを決意する。


Story2 挫折と怪我からの復帰

 単身でヨーロッパに行ってからは何度も屈辱を味わい、毎日が挑戦の日々。そして、2年目のヨーロッパカップで5位入賞を果たし、直後にナショナルチーム復帰、ワールドカップの出場権を獲得。しかし、そのワールドカップで前十字靭帯断裂と外側半月板損傷で全治10ヶ月の大怪我を経験する。

 そのワールドカップの舞台に復帰し、世界ランキングは86位で日本人トップ(2024年5月現在)に立ち、これまでワールドカップには9戦出場、着実に成長を続けている

アルペンスキーとは

アルペンスキーはウインター最大のスポーツで冬のF1と呼ばれ、競技人口、集客数、市場規模全てにおいてウインタースポーツの最高峰である。日本ではマイナースポーツですが、ヨーロッパで人気のスポーツで1レースで集客数5万人を超えるレースがある。日本でも2016年に行われたワールドカップでは2日間合計1万人を集客した。

世界で戦ってきた日本人

日本人最高成績

アルペンスキー競技で日本人が世界のトップに立った選手はおらず、日本人のワールドカップでの最高成績は2位である。オリンピックでのメダルは1956年の猪谷千春さんの銀メダルのみである。


アルペンスキーはヨーロッパ中心のスポーツで日本人はこれまで苦しい戦いを強いられてきた。特にトレーニング環境に大きな差があり、環境整備、レース転戦には多額の活動資金がかかる。また、国内で大きなレースがないためチャンスも少ない。このような要因から日本人がこれまでなかなか結果が残せていないと考える。しかし、日本人の俊敏な動きや精神力はヨーロッパの選手に負けず、勝てるチャンスがあり、このような環境下で勝つことは大きな意味を持つ。

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